[附巻0002]【十六年、牛助春、身命を顧みず、薩州の命に反く。】那覇の牛助春(前に紋船脇筆者と為り、大坂に赴きて太閣秀吉公に朝見す。公、助春の頭甚だ大にして非凡なるを見て、遂に彼の冠を取りて公の頭上に加へ、深く之れを奇異とす。是れに由りて人皆、大頭我那覇秀昌とよぶ)。助春才府と為りメに入る。公務已に竣り翌年帰国の時、颶風に遭ひ、日本平戸の地に飄至す。彼の太守肥州公に召見を蒙り、腰刀一を賜はる。彼の地を開船して麑府に至る。薩州太守公之れを留めて曰く、我、琉球を伐たんと欲す。爾等須く我が兵船を引きて、以て球国に抵るベしと。助春之れを辞して曰く、助春は球国に生長す。其の恩を却忘し、人を引きて国を伐つは甚だ逆理に係る。夫れ地天の間、未だ此の理有るを聞かざるなり。若し命を受けざるの罪を以て、死地に就くと雖も、必ずしも顧惜せざるなりと。太守公、頻りに勧め頻りに強ふるも、助春固く辞して従はず。亦密書を修してこれを島一岐助に托し、法司馬良弼(名護親方良豊)に寄送し、其の薩摩の将に我国を伐たんとするの事を以て悉く細さに知会せしむ。其の後、屡々助春を御前に召し、再三之れを勧むるも、助春の対言前の如く、敢へて稍しも異ならず。是に於て、太守公の其の忠心を嘉するを蒙り、帰るを許されて国に抵る。