[附巻0007]【附久米島具志川大掟、石を身に纒ひ洋中に沈没す。】久米島の石那覇按司の男孫仲城、中華に赴き業を肄ふの時、日々外に遨遊し、専ら間事を玩び、曾て書を読み礼を習はず、而して帰りて故郷に至る。父仲城按司、其の事を聞知し、遂に之れを逐放す。父の卒するに至り、遂に次男をして家統を継がしめ仲城按司職に任ず。而して幼稚の孩童、専ら政事を務め、人民を治する能はず。即ち堂之比屋に托して、其の事を摂理せしむ。後日に至り、堂之比屋心に謀叛を懐き、密かに其の幼男を弑し、而して其の弑害をVひて仮りに病卒と為し、以て中山に奏す。且、疏して其の職を拝授することを請ひ、幸に愈允を蒙り、実に仲城総地頭職を授かる。此れよりの後、威勢日に盛にして、衿傲愈々極まる。後、吉辰を撰び、仲城に赴くの時、行きて中途に到り、馬より地に落ち、驟然として卒す。即時、仲城の嫡子久米仲城、先父の業を継ぎ、仲城按司の職を拝授す。而して仲城、前に大掟たりし時、薩州の商船、久米島長礁に飄到し、船隻を衝破す。具志川大掟、以て殺害せんとす。仲城深く之れを諫止し、口粮を給与し、船隻を修製して故郷に送還す。万暦康戌、薩州の人民中山に来到し、経界を正し、田地を均しくするの時、大掟二名を招来す。即ち具志川大掟を擒にし先島に放流す。而して慶良間に赴きし時、石を身に纒ひて、洋中に沈没す。仲城は褒美を荷蒙し、久米両郡総地頭職を拝授し、座敷位に擢んでらる。其の次男島仲城は、夫地頭と為り地頭代職を兼任す。崇禎年間に至り、小蘇鉄樹を製養し、盆上に移植して以て聖覧に備ふ。聖主より深く褒嘉を蒙る。今の小蘇鉄は此れよりして始まる。嫡子島仲城は父の家統を継ぎ、夫地頭職を拝授し、名を儀間と改む。後、地頭代役と為り、座敷位に擢んでらる。時に郡民をして毎名蘇鉄樹三十顆を栽植せしめ、以て荒凶の資に備ふ。