[附巻0012]【菊隠国師、西来院を創建す。】菊隠国師、幼稚の時より、出塵の志有り。円覚寺住僧洞観に追従して、参禅学道す。後日に至り、久しく日本国に遊び、亦古渓に従ひて、竟に衣鉢を伝へて回来す。即ち円覚寺に住持すること已に多年有り。遂に地を山川邑に卜して、千手院を結構して以て隠居を為す。万暦己酉、薩州の軍兵、運天津に抵るや、菊隠命を奉じて、彼の軍に赴き和睦を請乞す。兵船那覇津に至るや、亦和睦を乞ふ。竟に允依を見ず。已に投誠の情を達して、聖主に扈従して薩州に到り、江府に赴く。辛亥の年回国す。王、其の功勲を労ひ、地を上儀保邑に賜ひ、達磨山西来院を建立す。時人未だ倭俗を知らず。菊隠命を奉じて加判役と為り、大里県を拝授し、並びに知行高八百斛を賜ふ。且王子位に擢んでて、五色浮織掛落及び球陽国師号を賜ふ。而して後、老を告げ致仕す。時に知行四百斛を賜ふ。万暦庚申の年、国師遷化す。時に弟子喝伝、日本に在りて学道す。即ち一周をして此の院を監司せしめ、以て他の回国を待つ。天啓丙寅、喝伝、梁南に従ひて伝法して回来し、此の寺に住持す。然れども、後、此の院に嗣徒弟有る無し。崇禎辛未の年、官寺と為し、名僧をして此の院に住持せしむ。康煕甲辰、尚質王、住僧大淳に賜ひて、以て隠居の処と為す。此の時亦、知行高五十斛を賜ふ。