[附巻0017]【二十七年、全興盛、法司毛鳳朝を讒愬し、貶して百姓と為す。】全興盛(俗名津堅盛則)、騎馬を能くし、馴法を善くす。而して名、薩州に聞ゆ。惟新公招来して之れを見、寵愛已に厚く、恰も珍宝に似たり。此れに因りて、津堅心志甚だ驕り、人民を凌侮して、威勢自ら大、権、朝野に重く、敢へて拂悖するもの莫し。一日、毛鳳朝を訪ひて曰く、余疏文を具して、津堅島を領せんと欲するも、聖主の兪允するや否やを知らずと。鳳朝、怒りて曰く、古より以来、未だ一島を専領する者を聞かずと。黙して再言せず。津堅愧を抱きて去る。乙卯の年に至り、津堅、具疏して、題請す、田場港を濬ひ、以て倭船湾泊の所と為さんと。聖上、其の請ふ所を准す。遂に津堅に命じて其の奉行と為し、吉を択びて工を起さしむ。時に鳳朝の長子、毛振薇(上江洲親雲上盛相)は、具志川総地頭を署理す。即ち田場に往きて、以て他の事に赴く。偶々便毒を病み、暇を告げて家に回り、医を請ひて服薬し、一旬にして愈え、再び田場に赴く。津堅叱して曰く、汝病に托して家に回り、王事に勤めず。素餐する者と謂ふべきなりと。振薇之れを聞き甚だ怒る。然れども、其の威勢甚だ盛んにして、諍弁する能はず。即時家に回り、以て其の地頭職を辞す。興盛、父の長男を挑唆して、王事を懈怠せしむるの事を将て、王に讒愬す。遂に鳳朝を獄に係ぐ。獄司深く寃枉を知るも、他の威勢を畏れ、敢へて是非を弁ぜず。竟に鳳朝をして、職を革め、貶して末吉邑の民と為らしめ、長男振薇は粟国島に流し、以て采邑を許さざるの恨に報ゆ。其の夏、三司官、書を薩州に寄す。而して、其の書に鳳朝の名字無し。是れに由りて、光久公、他の罪を獲るを知り、特に平田氏・猿渡氏等を遣はし来りて中山に至る。而して其の事を聴得し、敢へて弁決せず、遂に津堅と鳳朝とを帯びて薩州に赴く。始めて以て決を為す。是に於て鳳朝、仍、原職を拝す。