[附巻0018]【二十八年、張献功、民に瓷噐を教ふ。】尚豊公、命を奉じ麑府に到る。時に陶工を懇請す。幸に兪允を蒙る。即ち、高麗人張献功(一六と叫び、名乗は麗伸)と、一官・三官等とを帯び、本国に回到す。湧田村に寓居して、民に瓷噐を教へしむ。其の後、一官・三官は、倶に薩州に返り、独り献功は此に留在し、瓷器を製造して、以て資用に供す。遂に国俗に従ひ、改めてモ髻を結び、名づけて仲地と曰ふ。此れよりの後、人皆、陶工を知るは、則ち献功の功なり(本国の治陶、此れよりして始まる)。