[附巻0020]【三十一年、盛元竜、蚕を飼ひ、綿を作るを、久米島民に教習す。】盛元竜(俗に宗味入道ど叫び、名乗は普基)は、日本越前国の人なり。本国に雲遊して、遂に那覇に住居し、力を本国に効す。是の年に至り、王命を奉じて久米島に到り、蚕を飼ひ、桑を植ゑ、及び綿を製するの法を細さに百姓に教へて帰帆す。一説に、往昔の世、久米島に堂之大親なる者有り。命を奉じて中華に到り進貢するの時、治蚕織紬の事を伝授す。帰国するの時に至り、始めて飼蚕織紬を以て、人民に教授すと爾云ふ。是れに由りて之れを考ふるに、治蚕織紬は、宗味の始むる所に非ず。宗味、久米島に至りて、再び治蚕織紬の精法を授くること已に凝無し。大親の墓内に、一石龕(俗に厨子と称す)有りて、其の屍骸を収む。其の厨子に、弘治十八年乙丑十月十四日死の数字を著する有り。是れに由りて之れを観るに、嘗て中国に入る者は、恐らくは其の人に非ず。想ふに、必ず人異なり、名同じき者ならんか。