[附巻0050]【[尚質王]【四年、始めて御典薬官を置く。】洪武年間、察度王、常に高楼に登りて、以て遊観を為す。一日、王の左手、毒蛇の咬む所と為る有りて、其の手遂に断つ。近習、奏して曰く、願はくは臣が手を進めて、以て王の手を続がんと。遂に其の一手を割きて、以て之れを献上す。則ち良医をして続療せしむ。故に曰ふ、王の左手は衆体と相異なり、色黒く毛多しと。是を以て之れを観るに、往昔の世、良医有ること疑無し。已に数世を歴て、医術寝衰して、人の敢へて為す者無し。乃ち薩州の医生に請ひて、人民の疾病を療治せしむ。崇禎丁丑、那覇の葉自意(俗名は休意)、尚享(具志川王子朝盈)に随ひて往きて薩州に至り、以て京都に赴く。時に寿徳菴玄由法眼に従ひ、悉く医道を学ぶ。庚辰の年に至り、尽く精奥を伝へて帰国す。是の年、王深く之れを寵愛し、擢んでて大医官(俗に御典薬官と称す)と為し、遂に第宅を山川邑に賜ひて移居せしむ。此れよりの後、人民或いはメ州に入り、或いは薩州に赴きて、皆医道を学びて、其の術愈々精し。今に至るまで相継ぎて敢へて少しも絶たず。