[附巻0051]【五年、名僧南陽紹弘禅師遷化して、尚遺霊有り。】本国に一名僧有り。法号は南陽紹弘禅師、原、北谷間切玉寄村の人氏に係る。幼時、人の勧むる無くして、自ら仏道を慕ふ。年十三に至りて決して俗に従はず。父母、已むを得ずして其の出家を聴す。年十九のとき日本に到り、遍く四方に遊ぶこと已に十六年なり。竟に奥州松島の瑞岩寺に掛錫して修道すること四年、乃ち開山妙心寺関山国師の正法を慕ひ、嶺南大天法鑑禅師に拝謁す。乃ち景堂の門派なり。既に其の法を受けて転職に陞る。今、球僧日本に到り、関山国師の法脈を継ぎて転位するは、此れよりして始まる。南陽帰国して建善寺(時に国寺に係る)に住持すること数年、竟に世俗を嫌ひ、辞して北谷玉寄村に隠れ、坐修して臥せず、黙々として言はず。然れども、或いは人の病有りて符を求むれば、即ち施して以て済ひ、或いは田に虫災有れば亦符を施して之れを除く。並に験あらざる無し。是に村人崇びて活仏と為し、国人号して北谷長老と為す。既に隠るること数十年、順治九年壬辰十一月初五日に遷化す(其の墓は北谷村東の小山に在り)。今に至るも、樹木の枝未だ敢へて其の墓を侵蔽せず。今、村人虔んで其の墓に祈れば、則ち病人は愈ゆるを得、災虫は尽く去る。而して験有らざるは無し。是を以て、北谷村・玉寄村・伝道村は、毎年三月初三日、年豊を祈求す。