[附巻0069]【十三年、真壁神宮を重修す。】昔、真壁按司の兄弟三人有り。次男は素より病に染みて臥牀し、出仕する能はず。長兄は幼弟と倶に、真壁城を鎮守して、各々按司を称し、善く仁政を敷き、郡民を撫綏し、人皆信服す。時に、兄按司、一白駿馬を飼ふ。他の馬、容体異常にして、騰空入海の状有り。一日隣境の人、其の名を伝聞し、甚だ其の馬を慕ふ。倶に軍兵を整ヘ、侵し来りて城を囲み相戦殺して以て其の馬を奪はんとす。弟按司、急ぎ白馬に騎し、城を出でて拒ぎ戦ふ。忽ち伏兵の為に多く重傷を帯び、本城に回到して自刎して卒す。其の兄、潜然として涙を流して曰く、弟は敵の為に敗らる。何ぞ弟の為に仇を報ぜざらんやと。兄按司も亦其の馬に騎し、賊陣に殺入して、死を決して戦はんとす。奈んせん賊衆甚だ多く、抵当する能はず。忙ぎ駿馬を馳せ、直に古波森に奔去して、逝然として世を棄つ。其の馬も亦草を食はずして死す。其の後、裔孫に首里大屋子職に任ずる者有り。此の人、質資淳厚、深く孝心有り。常に此の森に詣りて虔請告祭す。忽然として四塊の霊石、飛躍して天に沖し、暫時にして復降る。大屋子、大いに疑ひて曰く、夫れ石の物為るや、至重至堅にして、能く飛揚する者に非ず。何ぞ能く此くの如くなるや。此れ誠に霊石なりと。遂に地を其の森の右にトし、草奄を結構して、其の石を奉安し、恒に崇信を為す。後亦、大屋子、穀米を運送して将に日本に赴かんとする時、先づ此の森に登り神に求イして曰く、今、王命を奉じて日本国に往く。若し公務全竣して平安に帰国するを得ば、即ち神宮を建てて其の恩に答謝せんと。既にして舟に駕して出洋し、以て扶桑に赴く。果然海洋晏静にして、波瀾起らず、而して船隻安穏にして、猶坦々たる平地のごとし。行走未だ数日を閲せざるに、速に日本に到る。大屋子大いに喜びて曰く、吾、穏に以て海を過るは、人力の及ぶ所に非ず。乃ち神庇の致す所なりと。即ち神龕を求得して帯回し、即ち小宮を建てて此の石を其の中に安置す。已に数年を歴、其の大屋子、山城地頭を拝授す。是れに由りて、其の子孫、世々神司と為りて、以て祭祀を管す。此れよりの後、他境の人、毎年九月の節、皆、此に来りて、神に求イす。甚だ霊感ありて、イりて応ぜざる無し。康煕年間、頼久座主、弥陀・薬師・観音三像を請来して、其の霊石と与に、並に其の一処に奉安す。而して歴年稍々久しく、宮敗壊を致す。辛酉の年に至り、人皆、資財を捐して此の宮を重修し、仍ち其の旧に復す。