[附巻0073]【二十二年、始めて那覇の東の思案橋を塞ぐ。】往昔の世、必ず此の地に於て、貢船を修造す。且、貢船、中華より回り来れば、即ち貢船を此の塘に放在して、以て風濤を防ぐ。此の故に之れを名づけて唐船堀と曰ふ。又一説に、会々倭兵の入国を恐れて斯の池塘を鑿ち、東より西に至るまで潮汐相通ずれば、必ず渡地に兵器布陣して以て拒敵に備ふと。未だ孰れが是なるかを知らず。此の間、杠二座を設けて以て往来を為す。其の杠を名づけて、思案杠と曰ふ。亦其の地を名づけて渡地と曰ふ。渡地の村は、素より妓女有り。人其の地に往きて請来せんと欲するに、時に其の杠辺に到り、思慕愈々切に、急行の心有り。亦戒色の心厳に、帰来の心有り。必ず此の橋に於て、以て千思万慮の計を致す。此の故に之れを名づけて思案橋と曰ふ。康煕庚申年間に至り、其の東橋を塞ぎ、一堤を築建して以て往来を通ず。