[附巻0080]【二十七年、関忠勇、始めて球紙を造る。】康煕丙寅、関忠勇(大見武筑登之親雲上馮武)薩州に往き、乃ち草野氏に従ひて造紙の法を学び、悉く其の法を尽くして帰り来る。後、杉原・百田紙等を造りて、以て聖覧に備ふ。甲戌の年に至り、命を奉じて造紙長(俗に主取と曰ふ)と為り、恒に自宅に於て球紙を製造して以て国用に供す。乙亥、命じて宅地を首里に賜ひ、金城邑大樋川辺に移居せしめて以て造紙を為す。我が国の造紙、此れよりして始る。