[附巻0104]【十一年、始めて諸外島の手札は中山に留在することに定む。】琉球人数の手札は、大和年号を書す。若し、人、手札を帯びて中華に飄至すれば、即ち、中華の人、球人も亦其の年号を用ふるの事を知る有るを恐る。改めて宮古八重山の手札は宮古蔵に聚在し、諸外島の手札は、其の総地頭の家宅に留在することに定む。今世に至り、其の手礼は悉く大与座に在り。