[附巻0114]【二十九年、竇洪勲、屡々中華と日本とに赴き、鉄錠・銅条の法を伝授す。幸に家譜を褒賜するを蒙り、擢んでられて仕籍に登る。】竇洪動(仲村渠筑登之親雲上起董)は、原、宜野湾郡の人に係る。而して首里に寓居し、ム々五主役と為りて中国に到り、雨傘等を製するの法を伝授す。且薩州に赴き、B゚油等を製作するの法を伝授し、則ち陳秦して、以て首里籍に入る。後亦、中国と日本とに到り、悉く鉄錠・銅条を製作し、並びに鉄鋼等の器物を熟鋳するの法を伝へて、以て国用に供し、恭しく褒賜を蒙り、家譜を纂修して、以て仕籍に登る。