[附巻0116]【三十年、饒波村の金城、桐種を栽植し、恭しく褒を蒙り、赤八巻に陞る。】大宜味郡饒波村に、金城なる者有り。幼冲の時より、克く心力を竭し、按司地頭に供奉す。已に二十五歳を経て、金城意想へらく、本国、素、桐油無く、中華と日本とより買ひ来りて以て国用を達す。銀を費すこと甚だ多し。今其の供奉を辞して、以て家郷に回り、以て桐樹を植ゑ、油を取りて用を補はんと。即ち其の心志を以て按司に禀明す。按司、准允す。康煕六十一年壬寅、唐栄の習吉瑞(小渡子幸田)、メに入り医を学ぶ。金城、其の小渡に托して、桐樹の種を寄買す。小渡、其の種子乙百顆を買得して寄来す。金城、之れを受収して、遍く山野を巡り、細さに地勢を看て、桐実を播種す。翌年に至り、只一株を生ず。金城深く之れを培ひ之れを愛すること、恍として珍宝の如し。已に数年を歴て、大いに繁茂を致し、結実尤も多し。金城喜びて其の実を取り、即ち宅地に播く。漸々多きを増す。後年に至り、此の事を具禀す。高奉行武自仁(奥原親雲上崇満)山北を巡視する時、金城を招きて、細さに播桐のソ末を訪ひて、以て首里に回る。其の冬、自仁、金城に代り、地六百拾五歩を請ふ。乾隆丁巳の年、山奉行東崇義(高安親雲上政副)手づから桐実七百四粒を捧げて、聖覧に奉備す。即ち山北九郡に給し、各処に播植せしめ、且他に代りて、半津福地を請ふこと共計六百拾五歩なり。並に下使一名を附す。此れよりの後、山北の人年々倍来して、其の実を求得して、以て播植を致す。壬戌の年に至り、山奉行毛承基(大城親雲上盤俶)、具疏して旨を請ふ。王、深く之れを褒奨して、以て赤八巻に陞せ、且地乙千八百歩を賜はり、偏く桐樹を植ゑて、以て国用に供す。