[附巻0157]【[尚泰王]【四年正月初三日、日本土佐国人有りて、杉板に坐駕して摩文仁郡小渡村の浜に来到す。】此の日、土佐国人三名有りて、杉板一隻に坐駕し、小渡村の浜に到る。随ひて来歴を問ふに即ち云ふ、上届丑年正月初五日、我等小船に坐駕し、海に出でて釣魚するの時、ユに暴風に遇ひ、風に随ひて漂流し、経に七日を歴て、纔に辰方無人の島に到りて擱礁撃砕し、上岸活命す。該島は、物の食すべき無く擒へて衆鳥を食し、聊か餓リを免かる。六月に至り、亜米理幹国の討鯨船一隻、該島洋面を駛過するを見る。即ち其の船を招来して、性命を救ふを請ひ、該船に搭駕して、西洋ニ蔗芻曹ノ収到す。該船主、我等五名を将て友人の家に託食し、開洋して去る。其の後、亜米理幹船隻の到来する有り。随即、我等を将て該船に搭駕し日本に解送せんことを懇請す。該船主辞するに、末だ日本の洋路を知らざるを以てす。復、杉板一隻を置買し、該船に搭駕して、日本洋面に馳せ近づき、自ら杉板に坐し、以て本籍に回るを請ふ。該船主即ち請ふ所を准し、我等をして該船に搭駕せしむ。庚戌十月に該国開洋し、本年正月初二日夜、纔に貴処の洋面と相隔つる二三里余の処に到り、杉板に移駕してj来し上岸す。其の原船を見るに、殆ど中国に往くの模様有り。我等同輩は、素、五人有り。内一人は該国に在りて病故し、一人は該国に居住す等語と。又、文字を識るや否やを問ふ。即ち云ふ、我等は、素、捕魚を以て業と為して文字を識る無し。只万次郎一人頗る亜米理幹文字を知る有り等語と。本年七月、本国に駐する倭官四員の離任して回国するの便有るに逢ふ。其れをして援護回籍せしむ。