[附巻0161]【本年九月二十六日、日本肥後国天草郡小宮地村の人有りて、三端帆小船一隻に坐駕し、伊平屋島我喜屋村の浜に漂到す。】此の日、肥後国の人、貞助・孝兵衛の二名有りて、小船一隻に坐駕し、我喜屋村の浜に漂到し、擱礁撃砕す。随ひて即ち来歴の情由を報明す。該村吏役人等、即ち粥を煮て之れに給す。既にして人家を掃浄し、安頓収養す。十月初五日、今帰仁郡に送到し、初七日、北谷郡に到る。時に、横目・附役・御物奉行・御鎖側・大和横目等の官有りて、前みて該郡に抵り、其の来歴を詢ふ。該二名云ふ、我等は已に禅宗に係る。本郡中田村富次郎の雇ふ所と為り、同に小船に駕し、去年八月十八日、本地開洋し、各処に到りて湾泊す。二十九日、長崎大波戸に収到す。富次郎は其の地に留在し、我等二人、原船に坐駕して、九月十四日、開洋す。ユに颶風に遇ひ、モ楫を損壊して其の漂流に任せ、二十六日、貴国洋面に到る等語と。査するに、此くの如き難人の漂来に遇べば、向例として、那覇久米村に在りて、個人の家を選び、其れをして身を棲はしむる有り。但r人の那覇に留居するに因り、十月初八日、浦添郡城間村に解到し、成例に遵依して、人家を掃浄して安頓収養す。併びに蚊帳一張・単袷鋪棉等の衣服各一領、及び平日応用の器具等の件を賜ふ。翌年三月、DE田新兵衛の船回国の便有るに逢ひ、其れをして援護回籍せしむ。