[附巻0167]【九年丙辰正月十二日、西洋船一隻の、洋に在りて武氏渡名喜親方宗珍を救護し、那覇洋面に到来する有り。】此の日、西洋船一隻有りて、那覇西方洋面に到来し、錠を抛ちて停泊す。岸を離るること約八百四十歩なり。即ち通事を遣はして、其の来歴を訪はしめんとす。時に夷人八名有りて、杉板一隻に坐駕し、泊湊に囓す。之れを見るに、即ち渡名喜親方の附搭して駕来する有り。是れ乃ち、前に薩州に赴きて仏朗西国と約条を立定するを詳明するの使者なり。即ち其の縁由を問ふ。称に拠れば、我等坐す所の船隻、那覇湊に在りて開洋し、半洋に駛到して暴風に遇着し、正に万死一生の際に在り。偶々西洋船隻に逢ひ、急に杉板三隻を撥し、j来して上船す。手を用つて様を作し、以て我等を救護するを示す。皆、原船の保ち難きを知り、随身の貨物を帯びて該三隻に記載し、西洋船隻に移駕して方めて活命を得たり等語と。又該夷人の内に、略々官話を講ずる者有り。即ち云ふ、亜米理幹国船隻に係り、通船の人数共に四十名(内一名は婦女)なり。鯨魚を捕へんと欲し、本国奴約加地方に在りて開船し、既に各処の海洋を巡行して後日本の海洋に往かんとして、偶々該船の急難を見、救護して送り来ると。言畢りて、逗留する仏夷と相共に談論して本船に回る。随ひて即ち本国の杉板両隻を遣撥して該夷船に赴き、渡名喜親方・与力・跟伴曁び船人等共に二十五名、併びに随身の貨物を将て、搬運して上岸す。因りて議す、該夷人等、此くの如く救護せり。必ず謝恩の礼を行ふべしと。乃ち若狭町村学館に該船の頭目を邀へて、開宴礼侍す。時に頭目一名・跟随二人の到来する有り。是れに由りて、地方官、通事をして伝説せしむ、爾等、本国人民を救護して遠方より送り来る。但に本官の感激するのみならずして、総理・布政等の官に至るも深く感じて忘れずと。又該渡名喜をして席に就きて鳴謝せしむ。且総理官・布政官・地方官・渡名喜等、各々全帖を備へて礼物を送給し以て謝忱を表す。該夷人等、大いに喜びて鳴謝す。又其の牛・猪・蕃薯・蔬菜等の件を求むるに因り、酌察して之れを給す。該夷人即ち洋銀四十二円を将て抵価支給し、十四日に至りて開船し回去す。