[附巻0179]【本年、医生呉徳義謝花筑登之親雲上舒保を遣はし、葉壁山に在りて牛痘を続種せしむ。】本国の士民、痘瘡を伝染する者は、上届亥年以来、種痘の法を用ひしむ。近ごろ聞く、牛痘の法は瘡症甚だ軽く、更に伝染する無しと。業に去年に於て、尚氏伊江王子朝忠、前みて薩州に抵るの時、眼医呉建慎許田筑登之親雲上舒厚に着令して、牛痘の法を学習せしむ。該許田既に其の法を習ひ、復其の痂を帯びて回国す。上憲意謂へらく、宜しく医生をして、此の牛痘を将て、先づ外島の小民に種ゑ、天瘡を邀請するの時、預め先づ該島に流行するを侯ち、其の牛痘を種過する者、応に天瘡に再染すべきや否やを試験し、方めて天瘡牛痘の善否を知るべしと。乃ち医生呉徳義謝花を遣はして、前みて葉壁山に抵り牛痘の法を将て、島民に教示して、三四人に続種す。