[本文0001]【国初  琉球の分野及び開闢。】天地未だ分れざるの初、混々沌々として、陰陽清濁の分有ること無し。既にして大極両儀を生じ、両儀四象を生ず。四象変化して庶頻繁顆す。是れに由りて、天地始めて天地為り、人物始めて人物為り。時に我が琉球は、福州の正東偏南三里許に闢在す。而して分野は楊州呉越と同じく女牛星紀の次に属し、倶に丑宮に在り(福建は北極の地を出づること二十六度三分、偏度、北極の中線を去ること偏東四十六度三十分なり。琉球は北極の地を出づること二十六度二分三釐、偏度、北極の中線を去ること偏東五十四度なれば、則ち琉球と福州とは東西相去ること八度三十分、推算するに、径は海面一千七百里に直る)。蓋し我が国開闢の初、海浪氾濫し、居処するに足らず。時に一男一女有り、大荒の際に生ず。男は志仁礼久と名づけ、女は阿摩弥姑と名づく。土石を運び、樹木を植ゑ、用て海浪を防ぎ、而して嶽森始まる。嶽森既に成りて人物繁顆す。然れども当時の俗、穴居野処し、物と相友し、价傷の心有る無し。歴年既に久しく、人民機智ありて、物始めて敵と為る。時に復一人の首めて出でて群類を分ち、民居を定むる者有り。叫びて天帝子と称す。天帝子、三男二女を生む。長男は天孫氏と為る。国君の始なり。二男は按司の始と為る(按司は即ち中朝の諸侯の類の如し)三男は百姓の始と為る。長女は君君の始と為る(君は、婦女の神職を掌る者の称なり。君君は、貴族の婦女数十人をして各神職を掌らしむ。故に之れを合称して君君と曰ふ。康煕の初、議して其の数を減ず。而して今数職の存する有り)。次女は祝祝の始と為る(祝は亦神職を掌る者の称なり。祝祝は、諸郡諸村、各婦女の神職を掌る者有り。故に之れを合称して祝祝と曰ふ。今に至るも尚存す)。而して倫道始まる。天孫氏