[本文0005]【諸神出現して国祚を護衛す。】風俗淳僕、民習端愨なれば、神出見して託遊する者有り。国人之れを呼びて君真物と曰ふ。夫れ諸神の託遊は、必ず婦女に係る。故に国人亦之れを尊びて女君と曰ふ。神、婦人の二夫せざる者を以て尸と為す。降れば則ち数々霊異を著はす。国に不良有れば、神輒ち王に告げ、其の人を指して之れを擒へしむ。故に国人辣然として畏憚し、敢へて侮侵せず。其の神一ならず。名も亦同じからず。烏富津加久羅の神は天神なり(此の神掌る所の職、今考へ難し)。儀来河内の神は海神なり(此の神掌る所の職、今考へ難し)。君手摩の神は天神なり(此の神は乃ち国君登位承統すれば、則ち一代に一次出見し、国君万歳の寿を祝す。二七日託遊す。今に至るまで相伝ふるの御唄は、乃ち其の時の託宣なり)。新懸の神は海神なり(此の神は五年に一次或いは七年に一次出見す。凡そ人の心志誠篤なる者の家に、此の神親しく自ら来格し、寿を祝ひ年を延す。邪詭なる者の家には必ず来格せず。亦人の行不善なる者は、此の神宣言して刑罰を加ふ。此れも亦二七日の託遊なり)。荒神は海神なり(此の神は三十年に一次或いは五十年に一次、世道衰微し、不仁乱逆の徒、恣心衡行するの時に当り、神即ち出見して刑罰を加ふ。是れ懲悪勧善の神なり。二七日託遊す。必ず奥に出見す。故に俗に奥の公事と云ふ)。浦巡の神は天神なり(此の神も亦国君一代に一次出見す。遍く国土を巡りて国祚を護衛するの神なり)。与那原公事は陰陽を兼ぬるの神なり(此の神は聞得大君初託の時に託遊を作す。亦二七日託遊す。与那原に出見す。故に俗に与那原公事と云ふ)。月公事は天神なり(此の神、毎月一次出見す。国祚を護衛し、国君万歳の寿を祝す。一日の託遊なり)。河内君真物は海神なり(此の神、春三月・夏六月・秋九月・冬十二月の一年に四次出見す。是れも亦国運を護衛するの神なり。毎季七日託遊す。故に俗に七の公事と曰ふ)。五穀の神は、五穀を護衛するの神なり(節々に出見す)。当時の人は心志朴実にして、之れを信ずること極めて深し。遺老伝に記す、往昔の世、人心篤実なれば、神常に之れが為に護衛し、感有れば必ず応ず。間々海冠の来侵する有れば、則ち神、輒ち其の米を化して沙と為し、其の水を鹹と為す。或いは冠賊をして盲唖と為らしむ。忽然として颶風遽かに起り、舟皆沈覆し崩裂すと。後世に至り、人心機巧にして祭に臨みて懈怠す。故に護衛の神、復常には見はれずと爾云ふ(託遊の俗、伝へて尚豊王の世に至るまで尚存する有り)。