[本文0014]【附首里内金城邑の鬼人。】遺老伝に記す、首里内金城邑に一兄一妹有り(兄の名は伝はらず。妹に一女有り、名づけて於太と叫ぶ。故に於太阿母と称す)、同に一宅に住す(其の宅、今において封じて小嶽と為す)。次後、兄は大里郡北洞中に遷居し、時々人を殺して肉を吃ふ。村人、大里鬼と叫ぶ。妹、偶々往きて問候するも、家に在らず。但竃上の釜中に人肉を煮るを見る。妹、驚き走せ、中途に兄に遇ふ。兄曰く汝何ぞ急ぎ帰るや。我に美肉有り。汝をして吃はしめんとすと。妹曰く、家に要事有りと。兄、強ひて之れを留む。妹、詞の辞すべき無く、同に兄の家に到る。忽ち奇謀を設け、密かに懐内の孩女の腿を摂し、他をして大いに哭かしむ。兄之れを問ふ。妹曰く、此の孩、便を下さんとす。請ふ、暫く窓外に到り便を下さしめんと。兄曰く、家の裏に便を下すも、亦何ぞ妨げんやと。妹曰く、家の裏に便を下すは禮に非ずと。堅く請ひて外に出づ。兄即ち小繩を以て妹の手を縛り、茅厮に行かしむ。妹、其の小繩を将て樹枝上に掛け、遂に逃去を為す。兄、妹の回るの遅きを疑ひ、出でて之れを視るに、果然在らず。北嶺にリひ到り、大いに我を等てと叫ぶ。妹、猛虎来の如く一般、匍匐して去る。因りて其の地を叫びて等川と曰ふ。又其の嶺を叫びて生死坂と曰ふ。厥の後、兄、妹を問候して首里に来る。妹、遽かに一計を為し、兄を請じて岸上に坐せしめ、即ち鉄餅七顆(糯米にて餅を為り、内に鉄丸を装す)・蒜七根、且米餅七顆・蒜七根を作り、兄に鉄餅並びに蒜を給す。鬼人、吃はんとして能はず。時に妹、前裙を開きて兄の前に箕居す。兄、怪しみて之れを問ふ。妹曰く、吾が身に二口有り。下口は能く鬼を喰ひ、上口は能く餅を喰ふと。即ち餅と蒜とを吃ふ。兄、大いに驚きて慌忙し、後岸に跌落して死す。是れに由りて毎年十二月、必ず吉を択び、国人皆餅を作りて之れを吃ひ、以て其の鬼災を避くの賀に倣ふと爾云ふ(鬼餅節は此れよりして始まる)。但首里内金城邑は、素毎年十二月内に六次鬼餅を作り神に献じて以て之れを吃ふ有り。而して今、十二月の初庚日に一次、又の庚日に一次共計二次、松川地頭は、必ず与那覇堂の田米二斗五升を出し、以て根神人に与ふ。根神人は即ち鬼餅を作りて小嶽に供祭す。其の田は、松川里主地に係る。