[本文0023]【三十七年、元の成宗、使を遣はして来侵するも、我が国降らず。】福建省平章政事高興、上言すらく、瑠求未だ従はず。宣しく兵を発して之れを襲ふべしと。元の成宗、省都鎮撫張浩等を遣はし、軍を率ゐて国に抵らしむ。時に我が国臣民、深く王化に沐す。皆身を委てて国を愛するの心有り。元兵の来侵を見、国人力を合せ拒ぎ戦ひて降らず。張浩、計の施すべき無く、卒に一百三十人をエにして返る。[大成王神号伝はらず。即位元年(元の大徳四年庚子)英慈王神号伝はらず。即位元年(元の至大二年己酉)玉城王(大徳十年丙午、始めて玉城を領し玉城王子と称す。後践祚す。故に国人、玉城王と称す)。神号伝はらず。即位元年(元の延祐元年甲寅)]