[本文0026]【[察度王神号大真物]附紀察度王伝説。】奥間大親は何人の後裔なるやを知らず。常に農を以て業と為す。家貧にして娶ること能はず。一日、田を耕し、帰りて森川(泉名)に至り、手足を洗ふ。一婦女の泉に臨みて沐浴するを見る。溶色絶倫なり。大親、意に想へらく、吾が村野中に、未だ嘗て此の婦を見ず。恐らくは是れ都中より来るや。亦何ぞ独り身此に在りて沐浴するやと。暗々に歩み進み、樹蔭より之れを見る。其の衣、枝上に懸くるも、亦常人の衣に非ず。大親愈々疑ふ。窃かに其の衣を取り、荒草の内に蔵し、故意に其の処に走り到る。婦女驚慌して裳を着け、仍、衣を穿たんと欲するに、則ち衣有ること没し。婦女面を掩ひて哭く。大親問ひて曰く、夫人は何れより来るやと。婦女之れに直告して曰く、妾は乃ち天女なり。下界して沐浴す。今已に飛衣盗まれ、天に上ること能はず。乞ふ、為に代り尋ねよと。大親、心悦び、之れを騙して曰く、夫人、暫く我が屋に坐まれ。我往きて代り尋ねんと。天女喜びて倶に草屋に至る。大親、就ちに其の衣を把りて、深く倉内に蔵す。日去り月来り十余年を歴、一女一男を生む。其の女子稍長じて、其の衣を蔵するの処を知る。一日、弟を携へて遊ぶ。且歌ひて曰く、母の飛衣は六柱の倉に在り、母の舞衣は八柱の倉に在りと。母聞きて大いに悦び、夫の亡きを窺ひ、倉に登りて之れを視るに、果して櫃中に蔵し稲草を以て之れを蔽ふ。即ち飛衣を着して天に上る。大親及び女児、皆各面を挙げて天を仰ぎ、放声慟哭す。天女も亦留恋捨て難く、再三飛上飛下し、終に清風に乗じて飛び去る。其の男子は即ち察度なり。察度長大す。是れより先、漁猟を好み、農事に務めず、或いは四方に遊びて父の教に従はず。大親甚だ憂ふ。時に乃ち勝連按司に一女子有り。才美兼ね備はる。貴族名卿の家、媒求する者極めて多し。父母之れを計るも、而も女子従はず。察度、之れを聞き、勝連に前み至り、按司に見えんことを請ふ。門上人笑ひて曰く、爾は何人なるや。豈乞丐者に非ずやと。察度曰く、我特に来りて一事を求めんと欲すと。守門人、按司に報ず。按司之れを異とし、召さしめて之れと見ゆ。察度、直ちに大庭に趨き、言ひて曰く、吾貴女未だ嫁を許さずと聞き、今吾特に来りて相求むと。按司及び侍士、皆口を掩ひて笑ひ以て狂癲と為す。時に女子、c隙より之れを視る。其の人を見るに、恍然として君王の蓋を戴くが若し。而して徳器儼然として更に常人の気象に非ず。女子、父に向ひて曰く、此の人、配とするに足ると。按司怒りて曰く、前に名卿貴族の求を許さず。今、賤夫に与す。豈世に笑はるるに非ずやと。女子曰く、吾此の人を視るに、容貌衣服は鄙賤に類すると雖も、実に常人に非ず。後来必ず大福有らんと。按司、平日女子の才智に信服し、敢へて強矯せず。乃ち女子に謂ひて曰く、汝の意既に此くの如し。吾卜筮して以て吉凶を決せんと。即日トするに果して王妃の兆有り。按司大いに喜ぶ。因りて之れを許し、察度に謂ひて曰く、汝吉を択び之れを迎へよと。察度喜び、吉を択びて親しく迎ふ。按司、其の貧苦を恤れみ、装送の資賄甚だ盛なり。察度悦ばず、妻に謂ひて曰く、汝は富驕に生れ美飾に習ふ。而して吾は実に貧賤なり。敢へて礼に当らずと。妻曰く、惟命是れ従ふのみと。乃ち悉く侍御服飾を帰し、即ち察度に随ひて共に草菴に至る。只見る、垣c傾窒オ風透り雨湿りて清貧に堪へざるを。其の家の焼柴の器は、縦横尺余、上は灰炭を堆し、四囲松油を潅ぐ。仔細に之れを見るに、乃ち黄金なり。妻之れを怪しみて曰く、此の物は何れより来るや。亦何ぞ焼柴の器と為すやと。察度曰く、吾が田園に堆満する者、皆斯の物なりと。倶に与に行きて視るに、果して堆満する者皆金銀なり。夫妻大いに悦び、拾収して之れを蔵す。就ち其の地に楼閣を建造し、名づけて金宮と曰ふ。即ち今の大謝那村の所謂金宮社是れなり。当時牧港は橋無し。南北の人、金宮前よりして往還す。察度、之れを視て、饑者には食を与ヘ、寒者には衣を与ふ。又、日本の商船有りて、多く鉄塊を帯び、牧港に至りて発売す。察度、尽く之れを買収し、耕者に鉄を与へて農器を造らしむ。百姓之れを仰ぐこと父母の如し。推して浦添按司と為す。境内大いに治まり、遠近皆慕ふ。時に西威王薨じ、世子五歳なり。大臣或いは輔けて立てんと欲す。国人僉曰く、先君の政を観るに、仁を残ひ義を賊ひ、暴虐無道なり。臣民敢へて怨み、而して敢へて言はず。今、更に幼冲の世子を立つれば、則ち何に向ひて治を図らんや。浦添按司は仁人なり。誠に民の父母為るに足ると。遂に世子を廃し、浦添按司察度を推戴して君と為す。[即位元年(元の至正十年庚寅)]