[本文0047]【高楼を建造して以て遊観に備ふ。】中山先に已に漸く衰ふるも、宮吉・八重山の臣服より以後、国勢始めて強し。是れに由りて王、稍驕奢にして、数丈の高楼を建造し、以て遊観に備ふ。一日、楼に登り戯言して曰く、予此の楼に居る。誰か敢へて害を加へんやと。当夜、蛇王の左手を咬む。其の患処腫爛して、手終に断つ。法司奏して曰く、王の手此くの如くなれば、何を以て礼を行はんや。願はくは臣の手を進めんと。奏し畢り、其の手を割きて之れを献じ、医を召して続療せしむ。是の故に、察度の左手は、色黒く多毛にして全体と異なる(察度の寿影は、伝へて末吉万寿寺に在りしが、万暦三十八年庚戌九月二十二日、寺の失火に因りて焼滅す)。