[本文0050]【本部郡の健堅大親、馬を中華人に給し、以て招撫を蒙る。】本部郡健堅村に健堅大親なる者有り。其の人と為りや、賦性老実にして言語謹慎なり。常に郷人を愛すること己の子弟の如し。故に郷人之れに親しむこと恰も父兄の如し。一日、偶々勾当有りて那覇に来客す。此の時、久米島の堂の大親も亦那覇に在り。偶然路上に于て健堅大親と邂逅相会し、各情意を話し、浹洽固結すること膠と漆との如し。荏苒の間已に月余を閲す。堂の大親、事畢り将に以て返棹せんとす。健堅大親、別離するに忍びず、慨然として他の舟に跳び入り、同に久米山に到り、日夜情を叙べて相話す。此の時、中華の船隻、ユかに暴風に遭ひ、久米浜に漂至し、舟已に損壊す。健堅大親、堂の大親に謂ひて曰く、吾此の地を視るに、山卑く林少く、舟を造ること能はず。吾が郷は林木甚だ多し。早く中華の人をして此の舟に附搭せしめて吾が郷に到り、船隻を修造して、以て摘回せしむべしと。遂に中華人を帯びて健堅に到る。山に入り木を伐り、匠をして舟を造らしめ、中華の人に給与す。時に、近処の穀菜尽く馬の為に尽食せらる。健堅之れを見て意に想へらく、吾が村中に放馬の人無し。何故に此くの如きや。必ずや瀬底邑人、特に牛馬を放ちて穀菜を吃ひ尽さしむるならんんと。頻りに其の邑を責む。邑人敢へて其の罪を甘受せず。此れに因りて潜かに其の地に歩み、身を伏して之を窺ふも、終に其の跡を得ず。只海辺に半痕の馬蹄有るを見るのみ。健堅大親之れを見て愈々驚き愈々怪しむ。乃ち廬舎を海浜に結び、他の出づる時を候つ。果然一馬海中より出で来り、一跳一舞、田圃に来り至りて、将に穀菜を吃はんとす。健堅大親、急ぎ其の処に往き、心を用ひて相計り、以て挽住せんとするも、四野に跳舞して持執する能はず。大親、怒心甚だ起り、即ち邑人を催して草の繩綱を作り、那の馬を挽き得たり。仔細に之れを視るに、渾身純黒にして並しも半点の雑毛無し。咆喊哮嘶、騰空入海の状有り。故に帯び回りて之れを家に畜ふ。中華人将に帰らんとするの時に及び、ラち那の馬を看、深く要め懇に求む。大親、已むを得ずして馬を牽き来り、他に送与す。中華人之れを得、大いに喜びて回る。此の時、中華大いに乱れ、皆良馬を要む。飄流の人即ち之れを陛下に献ず。陛下之れを覧て曰く、朕中華において未だ嘗て此くの如きの良馬を見ず。其の産する所の物を以て之れを視るに、想ふに必ずや善国為らんと。後、果して皇帝、琉球国王に勅諭して招撫し納款せしめ、竟に幣錦・石碑を賜ふ。大親、細さに那の馬のソ末を述ベ、健堅浜に建つ。是の年に至り、海水湧騰して村邑に氾濫し、竟に其の石碑を捲きて海中に湮入す。是れに由りて今健堅港を叫びて唐泊と日ふ。亦馬をラふの地、今猶存す。