[本文0070]【九年、山南王兄達勃期、汪応祖王を謀拭す。】山南王承察度、嗣無く、臨終のとき従弟汪応祖に遺命して以て国事を摂せしむ。永楽二年、汪応祖、封を朝に受け、山南王と為る。其の兄達勃期、心甚だ之れを痴くせず。十二年、応祖を謀弑し、位を纂ふ(汪応祖、在位十一年)。各寨官並びに諸按司、兵を合して達勃期を誅し、王の長子他魯毎を推して国事を摂せしむ。