[本文0072]【十一年、王尚巴志を遣はし、北山王攀安知を減さしむ。】攀安知、自ら武勇を恃み、淫虐無道なり。其の臣、名は平原、本部の人なり。勇力極めて強し。其の余の軍士皆勇剛驍健、亦其の城池も甚だ険阻に係るを以て、尤も攻撃し難し。是れに由りて驕傲日に盛にして常に中山を呑むの意有り。封を朝に受けてより以来、衿肆益々甚しく、平原と中山を攻むることを議し、毎日兵馬を整頓す。時に中山王尚思紹、民を撫するに徳を以てし、政を施すに仁を以てす。羽地按司兵を率ゐて来り降り、急を告げて曰く、北山王乱を作す。請ふ、先に兵を動かせ、若し遅蛯キること有らば之れを悔ゆるも及ぶ無しと。言未だ畢らざるに、国頭按司・名護按司も亦兵を率ゐて来り投じ、報説すること此くの如し。王、世子巴志に命じ、急ぎ軍馬を整へ、往きて山北を征せしむ。巴志旨を奉じ、便ち浦添按司・越来按司・読谷山按司・名護按司・羽地按司・国頭按司の六路の軍馬を将て、隊を分ちて先に往かしめ、随ひて後、官軍大いに発す。寒汀那港に前み至り、兵を擁して江を渡る。攀安知、原、是れ武勇の人、兼ぬるに平原等の恊力督軍する有りて防備甚だ密なり。巴志兵を催して城を攻むるも、城上より箭を放つこと雨の如く、進攻すべからず。浦添按司大いに叫びて曰く、忠臣は身を国家に委ね、死を視ること帰するが如し。豈手を拱きて日を送るべけんやと。言畢りて勇を奮ひ先んじて進む。諸軍も亦先を争ひて攻撃す。奈んせん北軍固を恃み、兼ぬるに驍健の兵を得、相助けて城を守る。攻戦数日なるも城陥ちず。巴志曰く、攀安知は淫虐無道、千軍有りと雖も実に心服するに非ず。其の臣平原は勇有るも謀無く、亦是れ貪欲の人なり。計を以て之れを破るは、何ぞ難きこと之れ有らんやと。遂に羽地按司等を召し、其の地勢を問ふに、羽地按司曰く、此の城の三面、皆険阻にして急には攻め破り難し。而して坤方は尤も険阻に係る。料ふに是れ此処は必ずや防備を怠らんと。巴志大いに喜び、一人の弁給者をして坤方の処より夜に乗じて城裏に入り、幣帛を把りて平原に贈り、並びに利害を以て之れを説き、以て内応を為さしむ。次日平原、攀安知に告げて曰く、久しく出でて戦はず、敵軍必ずや我を以て怯と為さん。請ふ、王と臣と更番して出で戦はん。敵、必ず敗れんと。攀安知、之れに従ひ、平原に命じて城を守らしめ、自ら軍を率ゐて先に出づ。巴志、北軍の城を出でて来るを見、急ぎ令を伝へ、坤方の険阻の処より軍を分ちて攻め入らしめ、却つて軍兵を催して平坦の処より敵を迎ふ。攀安知は武芸絶倫、勇を奮ひて衝殺すれば、官軍敗走す。攀安知リひ追ふの間、忽ち城中火起りて天に△冲するを見る。攀安知大いに驚き、急ぎ慌てて兵を返し城に入る。平原刀を提げて来り迎へ、大いに叱して曰く、汝、既に無道、我中山に降ると。攀安知大いに怒り、戦ひて数合ならざるに斬りて両段と為す。始めて平原の心変じて叛を作すを知り、之れを悔ゆるも及ぶ無し。只見る、官軍先を争ひて攻め入り、天摧け地b驍ェ如く、力の禦ぐべき無きを。時に城中に一霊石有り。攀安知常に拝して神と為す。此の日智尽き力窮る。其の石を叱して曰く、予今死なん。汝豈独り生きんやと。剣を揮ひて石を劈り、自ら刎ねて亡ぶ。是れに由りて山北、復、中山に帰す(今に至るも神石尚存す。而して十字劈開の跡有り。剣は千代金丸と名づけ、沈みて重間河に在り。後、葉壁の人、之れを獲。又城門外の一大石上に、王乗る所の馬の蹄の跡有り。皆山北の古蹟なり)。