[本文0074]【[尚巴志王神号勢治高真物]附紀尚巴志、一統の治を致す。】巴志は生得、身体極めて小さく長さ五尺に満たず。故に俗に皆佐敷小按司と称す。其の幼年のとき嘗て与那原に遊び、鉄匠をして剣を造らしむ。匠人農器を造るに急にして剣を造ること甚だ遅し。巴志屡々往きて問ひ求むるに、匠人佯りて剣を造るの状を為し、巴志還り去れば則ち止む。漸々にして鍛錬し、三年にして後成る。巴志此の剣を得、一日、舟に駕して海に遊ぶ。忽然として大チ浪を翻して躍り来り、舟幾んど覆沈す。巴志、剣を投じて立つ。チ魚畏れ退き敢へて侵さず。時に異国商船有りて鉄塊を装載し与那原に在りて貿易す。皆其の剣を見て之れを要む。終に満船載する所の鉄を以て之れを買ふ。巴志、鉄許多を得、百姓に散給して農器を造らしむ。百姓感服す。巴志は人と為り、胆大にして志高く雄才世を蓋ふ。洪武二十五年、歳二十一のとき、父思紹、巴志に請ひて曰く、昔玉城王徳を失ひ、政を廃し、国分れて三と為り、勢ひ鼎足の如し。爾よりして後殆んど百年に及ぶも兵戦息まず、生民塗炭すること未だ此の時の若きの甚しき者有らず。吾、当時の諸按司を見るに、各兵柄に拠ると雖も、皆戸を守るの犬にして、与に為す有るに足らず。今の世に惟汝一人のみ以て為す有るべし。汝吾に代りて佐敷按司と為り、民を水火の中より拯へば、吾が願足ると。巴志喟然として嘆じて曰く、惟命是れ従ふのみと。即ち父を続ぎて佐敷按司と為り、兵馬を調練す。島添大里按司、群臣を召して曰く、今諸按司皆懼るるに足らず。惟佐敷按司の子巴志、英明神武にして齠Vの翼有り。今、父を続ぎて佐敷を領す。吾甚だ懼る。況んや吾と巴志とは睦じからざるをや。之れを如何にすれば則ち可ならんやと。言未だ畢らざるに喊声大いに起り、巴志早已に兵を領して来り攻む。大里按司大いに驚き、兵を催して拒禦す。奈んせん巴志は希世の英雄、兼ぬるに勇健の兵多し。力の禦ぐべき無く、竟に巴志の為に滅さる。巴志、大里等の処を得て威名大いに振ふ。時に乃ち中山武寧王、先君の典刑を壊覆し、臣民遁隠す。諸按司相謂ひて曰く、巴志、大里を得て地、首里と甚だ近し。今、王徳を失ひ、禍遠からずと。各散隠して朝せず。巴志、諸臣に謂ひて曰く、琉球は開闢より以来一王世を治む。山南・山北は皆仮王なり。今、中山王徳を失ひ政を廃す。何れの時に二山を平げ、一統の治を致すを得んやと。諸臣皆曰く、武寧王徳を失ひ国勢日に衰へ、山南・山北強暴益々甚だし。是れに由りて之れを観るに、武寧王は民を救ふの主にあらず、乃ち国を傷ふの葡獅ネり。請ふ、先づ中山を伐ちて以て基業を建て、然る後二山を平げて以て社稷を安んぜよ。是れ万民の幸、天理の順なりと。巴志便ち大兵を領し来りて其の罪を問ふ。武寧慌忙として軍を催し拒禦す。時に諸按司、戸を閉ざし枕を高くして曾て之れ救ふ無し。武寧之れを悔ゆるも及ぶ無く、城を出でて罪に伏す。諸按司、巴志を推して君と為す。巴志固く辞し、父思紹を奉じて君と為し、自ら能く父王を翼輔し、政を興して理治す。臣民及び諸按司皆服す。後山北を滅し、遂に山南を平げて以て一統の治を致す。