[本文0084]【八年、王義兵を起し、山南王他魯毎を減す。】他魯毎、封を朝に受けて驕心稍動く。其の後奢侈日に加はり、常に忠諫を拒み、宴遊是れ好みて、政事に務めず。臣民之れを怨み、諸按司朝せず。他魯毎兵を発して罪を問ふ。諸按司畏懼し多く中山に投ず。他魯毎怒りて曰く、賊奴と巴志とは同に謀りて乱を倡ふ。悉く誅滅せざれば吾が怒息まずと。遂に軍令を伝へて兵馬を聚整し、山南騒動す。事、中山に聞す。巴志曰く、時至れるかなと。遂に自ら四方の按司を率ゐ、親しく往きて之れを征す。山南の百姓喜躍して拝迎す。他魯毎ますます怒り、軍を率ゐて出で戦ひ、大敗して走る。将に門に入らんとするの時、城上より箭を放ち門を閉じて拒禦す。他魯毎前後に敵を受け、力の施すべき無く、エにせられて誅に伏す。是れに由りてまた一統に帰す(遺老伝に説く、往昔の世、球国大旱し、郷里水無く民以て憂と為す。一日、人将に舟を泛べて出港し水を他処に求めんとす。忽ち見る、一犬、山中より出で来り渾身尽く湿めるを。人皆之れを疑ふ。今、旱魃已に久しく、田野水無し。知らず、此の犬何故に尽く湿めるやと。遂に其の犬の往く所に随ひ、深く山中に入る。果然水の湧出すること極めて大なる有り。清潔にして且甘し。則ち犬水中に入り忽ち化して石と為る。人、大いに喜悦し、高声にて人を叫びて曰く、此の地に清水有り、来りて水を汲め、別に去きて水を求むべからずと。是に于て水を求むるの人尽く来りて之れを汲む。遂に之れを名づけて嘉手志川と曰ふ。此れよりの後、近村の人尽く此の泉を引き、田に注ぎて耕を為し、大いに民の利と為る。元の延祐年間、国分れて三と為り、勢鼎足の如し。二山の主自ら称して王と為り、政を敷き教を施し群民を撫綏す。而して各使臣を遣はして款を中朝に納る。山南王伝へて四世他魯毎に至り、驕傲愈々盛にして奢侈日に加はり、臣民之れを怨む。此の時、中山王尚巴志、金彩囲蒲Lり。粧飾甚だ美なり。他魯毎、屡次之れを要めて曾て止まず。中山王曰く、吾聞く、大里に泉有り、名づけて嘉手志川と曰ふと。此れを以て之れに換ふるは如何と。他魯毎喜びて以て之れを換ふ。中山王換へて其の泉を得てより、其の水を厳禁し、人に与へて之れを汲ましめず。惟己に従ふ者のみ之れを与ヘ、未だ従はざる者は之れを用ふるを許さず。南山の臣民及び按司皆其の事を譏りて以て相胥に怨み、暗かに中山に従ふ者勝げて数ふべからず。是に於て中山王自ら四方の按司等を率ゐ、親しく往きて之れを征す。他魯毎エにせられて誅に伏し、遂に山南を滅すと爾云ふ)。