[本文0085]【九年、内官柴山・玩某、国に至り、王に尚姓を賜ふ。柴山、大安禅寺を創建す。】明の宣宗、正使内官柴山・副使阮某を遣はし、詔を齎して国に抵らしめ、王に尚姓を賜ふ。時に柴山、資を捐して寺を我が国に建て、名づけて大安禅寺と曰ふ。景泰七年丙子に至り、泰久王、鐘を鋳て寺に懸く。而して寺は何れの地に建つるか、今考ふべからず。柴山の碑記に云ふ、宣徳五年、正使柴山、命を奉じて遠く東夷の地に造る。メを離るること南へ数万余里。舟行日を累ね、山岸分つ無し。茫々の際、蛟竜万丈の波を湧し、巨鱗馮夷の水を張らす。風濤上下し、雪を捲き藍を飜して、険釁紀するに勝ふべからず。天風一たび作れば煙霧忽ち蒙り、潮瀾深湃して波濤の声宇宙に振ふ。三軍心駭き、仏を呼び天に号す。頃之ありて忽ち神光有り。大きさ星斗の如し。高く危檣の上に掛る。耿煥たる照明、慰むる所有るが如し。然る後衆心皆喜び、相率ゐて言ひて曰く、此れ乃ち竜天の庇、神仏の光なり。何を以て是に至るや。是れ咸我が公、仏を崇め善を好み、忠孝仁徳の致す所に頼るなりと。夫れ波濤一たび息みて河漢照明するにtべば、則ち南北の峰遠く相迎衛するを見る。迅風順にして渡り、崇朝ならずして岸に抵る。既にして奉公の暇、上は岡陵を択び、下は崖谷を相し、願はくは竜盤虎拠の地を得て、以て仏光を安奉するの所と為し、庶幾はくは以て扶危の恵に答へんと。是に於て水を掬し香を聞して其の地を海岸の南に得たり。山環り水深く、路転じ林密にして、四顧清芬たり。頗る双林の景に類す。遂に山を闢きて地と為し、水を引きて池と為す。之れを繧キにメ々、之れを築くに登々。百堵の室を成し、四達の衢を闢く。中、九蓮座金容を上に建てヽ南方丙丁火徳を前に供ふ。石を累ね、泉を引き、井を後に鑿つ。有道の僧に命じて其の事を董臨せしむ。内に花卉を列ね、外に椿松を広め、遠く山光を呑み、平に灘瀬をワみて、巣居穴処者をして皆以て其の光を覩るを得しむ。此れ、功に酬い、徳に報ゆる者の為す所なり。且東夷と仏国とは隣を為す。其の聖跡は海霊、秀を鍾むること素より有り。此の寺宇之れ建て、相伝へて万世無窮なること良に以有り。夫れ寺を建つる者は誰ぞ。天朝欽命正使柴公なりと。