[本文0098]【二年、国相懐機、長虹堤を築きて以て長寿神社を建つ。】遺老伝に記す、首里・那覇間に海有りて阻隔し、勅使賁臨する毎に船を集めて杠を架すと。景泰三年、封使国に至る。時に尚金福王其の往来の不便なるを恐れ、特に国公懐機に命じて長虹堤を築かしむ。公曰く、海深く波大にして以て築建し難し。此れ人の能くする所にあらず、必ずや神の威力を得て以て築建を完うせんやと。即ち壇を設け許願すること二夜三昼。翌日より起して、海水忽ち涸れ、海底出見す。爰に公卿大夫より以て士民に至るまで昼夜石塊を担ぎ、安里橋より伊辺嘉麻に至るまで長堤を築き、石橋七座を設く。並びに安里橋三座は牧志・安里間に在りて待兼橋と叫び以て天使を迎ふ。懐機大いに祭品を設けて還愿し、神社を建てて天照大神を奉ず。又精舎を創造し、長寿寺と名づく。乃ち僧満叟を請して開山住持と為す(素、官寺たり。康煕八年己酉、池上院に樹木を栽植するの時、尚貞王其の寺院を将て、池上院啓山長老に賜ひ、以て隠居の処と為す)。