[本文0104]【附芥隠、国に至り、仏教大いに興り、王、諸寺を建立し、巨鐘を懸く。】景泰年間、一僧国に至る。諱は承琥、字は芥隠、日本平安城の人なり。王、輔臣に命じ新に三寺を構へしむ。一は広厳と曰ひ、一は普門と曰ひ、一は天竜と曰ふ。芥隠をして開山住僧と為し輪流して居らしむ。王、其の教を受け礼待甚だ優なり。而して国人仏を崇び僧を重んず。是れに由りて王大いに喜び、景泰・天順間、地を各処にトし、多く寺院を建て、並びに巨鐘を鋳て各寺に懸け、朝夕諸僧をして談経・説法・参禅・礼仏して以て昇平の治を祈らしむ。漢明・梁武と雖も亦能く其の右に出づること無し。誠に此れ我が国仏法の明君なり(即今、禁中或いは寺廟に有る所の巨鐘は乃ち景泰・天順間尚泰久王鋳る所なり)。王又輔臣に命じて末吉山熊野権現社を創建せしむ(其の余の神社は何れの年に之れを建つるか、今考ふべからず。疑ふらくは是れ泰久王の世、其れ亦之れを建つるか)。景泰年間、尚泰久王新に天界寺を建つ。而して何れの年に之れを建つるか、今考ふべからず。故に倶に此に附紀す。