[本文0106]【五年、阿摩和利、護佐丸を讒害す。】毛国鼎(護佐丸盛春)、素より読谷山城に鎮居して以て藩職に供す。護佐丸の女は尚巴志王の妃為り。彼の地と王都とは相隔つること已に遙し。是れに由りて王仲城の地を賜ひ(王城の東三里に在り)、城を築き邑を営み、遷して仲城按司に封ず。護佐丸は賦性聡明にして英雄絶倫なり。而して誠実恭謹、色を正して朝に立ち、敢へて妄行せず。当時諸僚皆之れを尊信す。而して奸慝の党深く之れを忌憚す。誠に一朝の大臣為り。天順年間、王に一d馬有り、名づけて勝連按司(阿摩和利)と曰ふ。才知余有りて徳義法無し。其の口給は能く黒白を変じ、其の貪心は至らざる所無し。素より君を弑して国を奪ふの心有り。然り而して護佐丸深く阿摩和利の志を知り、恒に兵馬を整へ武器を備へて以て防戦の用に供ふ。阿摩和利他の武威を畏れ、以て師を出すの路無く、敢へて手を動かさず。一日、阿摩和利、密かに小舟に乗りて与那原に至り、王城に前み来り、克く心力を尽くし、王に讒愬して曰く、護佐九、兵を聚めて謀叛せんとす。宜しく兵を発して攻撃すべし。若し遅延すること有らば、之れを悔ゆるも及ぶ無しと。王曰く、護佐九は心、忠義を存し、剛直誠実、此れ誠に股肱の臣なり。何ぞ乱を作すの心有らんやと。即ち亦言を巧にして曰く、若し臣が言を信ずるに非されば、伏して乞ふ、使を遣はして他を窺はしめよと。王、讒に惑はされ即ち其の言に従ひ、人をして往きて護佐丸府を窺はしむるに、果して兵馬を預備するの状有り。差はすところの使、妄りて以て覆秦す。王、大いに驚き、特に阿摩和利に命じて大将と為し、即ち官兵を発して寅夜攻伐す。護佐丸実情を奏聞せんと欲するも而も倚告する所の門無く、亦官軍を防禦せんとするも而も殺戦する所の義無し。遂に妻子を携へ墓前に至る。其の臣士等の人大いに之れを怒り之れを怨み、皆出戦するを要む。護佐丸之れを止めて曰く、王命なり、豈違ふべけんやと。遂に天を仰ぎて曰く、吾何の罪ありて此くの如きや。鳴呼天神地祗予が心志に鑒み、以て誠偽を分てと。言畢りて夫人及び二子倶に墓前に在りて自己殺害す。近侍・奴僕皆忠義を守り、相従ひて死するもの勝げて数ふべからず。独り一義娘有り、一少子を抱き国吉邑に逃去す。地頭査方山(国吉親雲上真元)、深く毛国鼎の謀に遭ひて死に就くを憫み、其の家内に隠居す。阿摩和利凱旋して復命す。未だ幾時ならざるに将に中山を伐たんとす。夫人其の謀叛を知り、走せて中山に告ぐ。阿摩和利軍を率ゐてリひ来り、遂に王城を囲み、攻伐して相戦ふ。此に於て王、大いに之れを追悔し、遂に夏居数(俗に大城と呼ぶ)等に命じて阿摩和利を征滅せしむ。此れよりの後護佐丸の丹心中外に明らかなり。