[本文0137]【毛興文、神に逢ひて宅を授けられ、以て金丸王に献ず。】成化年間、泊村に大安里大親なる者有り。原、大城掟と称す。姓は毛、名は興文、名乗は清信。其の人と為りや、性質篤厚にして才智衆に出づ。一日の晩、首里より帰り来り、安里橋の東を歴過す。偶々一老人に遇ふ。姿貌軒昂にして白髪雪の如し。安里慌忙として向前に礼を施す。老人乃ち其の礼譲に感じ、延きて林中に入る。安里、其の内裏に入るに、高閣危楼、光耀輪奐たり。恍として蓬莱に似たり。只二老の囲碁し、一童の茶を烹る有り。安里甚だ之れを奇怪とす。拝辞して将に出でんとするのとき、特に一条の馬鞭を遺して記と為し、退去す。明くる日、また彼処に往きて其の踪跡を尋ね、深く林中に入る。山カ寂蓼として四顧人無く、只一条の馬鞭、旧に依りて猶在るを見る。安里、心愈々之れを崇信し、歩を転じて去る。後、風清月明の夜に当り、興に乗じて間遊し、此の地を徘徊して亦老人に逢ふこと前の如し。袂を分つの時に臨み、老人、黄金一塊を把り、安里に与へて曰く、吾と汝とは夙に奇縁有り。期せずして邂逅相会す。汝、当に此の地を闢きて第宅と為すべしと。言畢り、忽ち清風に化して其の逝く所の処を見ず。安里熟々此の地を看るに、前は緑江を帯び後は青山に倚り、真に此れ鍾霊の処なり。遂に草菴を其の中に構へ、竹を栽ゑて垣と為して栖居す。花晨月夕に逢ふ毎に、必ず酒席を設けて以て知己を邀ヘ、独り山水を娯み、以て天年を楽しむ。此の時、内間里主、嘗て御鎖側官を以て那覇に往来す。一日、安里、内間公に偶々門外に見え、乃ち前に跪きて曰く、吾、公の相を看るに、天日の表・竜鳳の姿有り。他日必ずや億兆の上に坐せんと。其の後、内間公那覇より帰るの時、安里、宴を設けて請延し、乃ち君位を設けて坐を請はんとし、礼待優厚なり。内間固く之れを辞す。安里曰く、公、凡人に非ざること明らかなり。何ぞ敢へて推辞するやと。内間之れを聞き、愕然として驚き起ち、袖を払ひて去る。安里も亦強ひては留むるを得ず、而して門外に拝送す。内間、将に騎馬せんとす。安里其の足下を見るに、痣有りて其の色金の如し。亦跪きて曰く、前日屡々公の貴相を言ふも、公、未だ其の言を信ぜず。今、此の痣を見るに、豈一微に非ざらんやと。已に数十年を歴て内間、果して大位に登る。是れ尚円王たり。王、践祚の後、乃ち安里の言に感じ、遂に彼を擢んでて官と為し、並びに安里地頭職を授く。又其の地の霊異なるを以て宗廟を創建し、側に寺院を構へ、之れを名づけて崇元と曰ふ。而して廟庭の左右に石を築きて囲と為し、以て竹樹を植う。即ち安里の鞭を遺すの地なり。今世に至り、人皆之れを崇信して以て神社と為す。且復、安里大親、崇元の地に住居するの時、恒に浮繩嶽の傍に出で、繩を水面に浮べて魚を釣り、楽と為す。大親世を棄つるの後、人皆之れを追慕し、石を築きて囲と為し、諸樹を栽植して以て神嶽と為す。之れを名づけて浮繩嶽と曰ふ。今世に至り、人皆之れを崇信して以て祈イを致すの処と為す。