[本文0138]【上間大親、先王尚真の御船を救ふ。】本部間切上間村(今、具志堅邑と称す)の上間大親(号は享翁宗親)は、素、葉壁山首見邑の人なり。尚円王国頭に渉り来るのとき、大親は上間村に移居す。故に上間大親と称す。大親、三男を生産す。長は孟揚清(大里親方宗森)と称し、二は孟元勲(中城親雲上宗愛)と称し、三は上間子と称す。後、真王、国頭を巡狩するに至り、行きて上間津外に至るのとき、ユに暴風に遭ひ画舫甚だ危し。大親、三児をして行きて御舫を救はしむ。三児即ち小舟に坐し、身命を顧みず風濤を凌破し、生を救ひて上岸す。聖顔大悦し、大親父子をして御前に召し入れ、深く褒奨を蒙り、且大親に今帰仁総地頭職を賜ひ、首里に搬り居らしめんとす。大親固く辞し、敢へて拝授せず。恭しく勅諭して再三強ひて勤むるを蒙る。大親跪きて奏すらく、孟揚清・元勲は、聖駕に扈従して首里に移居せしめ、且大親に、上間地頭職及び比与喜屋の地を賜へと。幸に兪允を蒙り、大親、上間に住居す。後、身体已に老い血気甚だ衰ふるに至り、其の三男を将て膝下に侍坐せしめ、以て使令に便して天年を終る。後年に至り、其の宅を崇尊し、以て拝祈の処と為す。今、子孫繁茂し、多く凡人と異なり、簪纓世々継ぎて声名大いに振ふ。孟氏家譜に詳見すと爾云ふ。