[本文0141]【[尚真王神号於義也嘉茂彗即位元年(明の成化十三年丁酉)]尚真の世、治道大いに明らかにして政刑、咸、備はり、以て雍煕の治を致す。】王、性質英明にして己を謙みて益を受く。其の長成するに及び、能く先志を継ぎ善く父業を述べ、務めて治を精にす。百僚に職を分ち群臣に官を授け、簪するに金銀を以てし、冠するに黄赤(俗に冠を称して八巻と曰ふ)を以てして、貴賤上下の分を定む。朝儀を朔望に設け、拝班左右に列して大小朝儀の例を定む。且山北の地、嶮嶇に係り、人亦驍健なり。城の鞏固なるを恃みて復変乱を生ずること有るを恐れ、仍りて第三子尚韶威を遣はし、旧制に遵依して山北を監守せしめ、今帰仁王子と称す。而して其の子孫継ぎて山北を守り、世々襲爵を受けて按司と称す。又刀剣弓矢の属を蔵し、以て護国の具と為す。時に、宮古島より宝剣一口、名は治金丸、宝珠一貫、名は真珠を献ず。又三府及び三十六島をして重ねて経界を正し、税を定め貢を納れしむ。是れに嗣いで治道大いに明らかにして政刑みな備はり、以て雍煕の治を致す。而して其の定むる所の条は、年月詳ならず。故に此に合せ紀す。