[本文0151]【十二年、孝宗登極し弘治と改元す。】成化乙巳年、貢使程鵬等、国に回りて皇太子の冊妃を報知す。是れに由りて丁未、王、林栄等を遣はし、表を奉じて方物を貢せしむ。林栄、浙江より入貢す。孝宗曰く、貢道は当に福建に由るべし。且貢は其の時に非ずと。命じて之れを却く。林栄、国王の礼部に咨するの文を以て答言す。礼部奏して曰く、琉球の入貢は、例限と合はずと雖も、然も遠人の情念ふべし。況んや箋文・方物已に京に至り終に却け難きをや。請ふ、暫く容納を賜はり、後、仍旧制を以て之れを裁ち、或いは福建の風水便ならざるに因り、路を浙江に取るも、亦実を審にして奏請せしめ、方めて起送を許し、今次正副使に給する所の綵緞等の物は、宜しく旧例の如くし、番伴従人は半ばを減じ、以て裁折の意を示すべしと。孝宗之れに従ふ。時に孝宗即位し、弘治と改元するを知り、以て便ち国に回りて其の事を報知す。