[本文0160]【始めて八重山に大阿母並びに永良比金を置く。】八重山は、洪武年間より以来、毎歳入貢して敢へて絶たず。奈んせん大浜邑の遠弥計赤蜂保武川、心志驕傲にして、老を欺き幼を侮り、遂に心変を致して謀叛し、両三年間、貢を絶ちて朝せず。此の時、石垣邑の名田大翁主、二弟二妹有り。一は那礼塘と名づけ、一は那礼嘉佐成と名づく。一妹は真乙姥と曰ひ、一妹は古乙姥と曰ふ。那礼塘・嘉佐成等、恒に忠義を存し、赤蜂に従ふを肯んぜず。遂に他の為に殺害せらる。名田大翁主、古見山に逃げ去り、洞窟の中に隠居す。此の時、宮古の酋長仲宗根豊見親なる者有り。赤蜂と和睦せず。赤蜂、将に宮古を攻めんとして二島騒動す。事、中山に聞す。是れに由りて王、大里等九員を遣はして将と為し、大小戦船四十六隻を撥し、其の仲宗根を以て導と為し、本年二月初二日、那覇開船し、八重山に赴き、赤蜂等を征伐す。大翁主大いに喜び、即ち小船に乗り、海に出でて迎接す。十三日、引きて八重山石垣の境に至る。大里等上岸す。只見る、赤蜂、衆兵を領し、嶮岨を背にし大海に面して陣勢を布擺するを。又婦女数十人をして各枝葉を持ち天に号し地に呼びて万般呪罵せしむること、法術を行ふに似たり。大里等、軍を駆り大いに進むも、賊兵及び婦女、略畏懼する無し。賊陣開く処赤蜂首めて出でて戦を搦む。大里大いに疑ひて曰く、賊奴の鋭気、軽がるしくは敵すべからずと。遂に四十六艘を将て分ちて両隊と為し、一隊は登野城を攻め、一隊は新河を攻めしむ。赤蜂、首尾相応ずる能はず。官軍勢に乗じ、攻撃すること甚だ急なり。賊兵大敗し、則ち官軍大いに凱功を獲。赤蜂はエにせられ誅に伏す。即ち名田大翁主、深く褒嘉を蒙り、古見大首里大屋子に擢んでられ、始めて頭役と為る。古乙姥は適ぎて赤蜂の妻たり。罪を受けて誅戮せらる。一日、永良比金の神、真乙姥に託宣して曰く、今数十余船に乗れば早く那覇に到らんと。官軍、僉、曰く、神託の告語、未だ深くは信ずべからず。若し霊効有りて兵船を護守し一斉に国に抵らば、宜しく以て褒賞すべし。若し此の語に違ひ、前後して国に至ること有らば、重く罪して恕さずと。真乙姥之れを聞き、意謂へらく、蒼天は定めあらず、風波は測り難しと。遂に美崎山に到り、日夜断食して誠愨求イす。而して風雨を厭はず寒暑を怕れず、日已に久しきに至り、身体憔悴し顔色枯槁して餓死に庶し。時に、平得村の多田屋遠那理、往きて之れを労ひ深く之れを憫む。而して船、神庇を獲て一斉に国に抵る。翌年に至り、深く褒嘉を蒙りて神衣を恩賜し、並びに召入の命を奉ず。次年、多田屋遠那理を携へ、中山に赴き入る。王、真乙姥を擢んでて始めて大阿母と為す。真乙姥、命を請ひ、大阿母を遠那理に譲る。王、亦真乙姥を擢んで、て永良比金の神人と為す。此の時、遠那理・真乙姥に各金簪を賜ふ。且大阿母に遠恵加地五加屋及び俸米一石五斗を賜ひ、亦永良比金に俸米一石を賜ふ。此れよりの後、大阿母・永良比金は、子子孫孫其の役を世襲す。