[本文0161]【八重山の獅子嘉、忠義にして節に死し、祭奠を賜ふを蒙る。】八重山波照間島に一夫婦有り、夫名は明宇底於戸と曰ひ、婦名は也那志と曰ふ。一男を産下し、名づけて明宇底獅子嘉殿と曰ふ。此の人、性質篤実にして心操忠義なり。敢へて妄りには行はず。此の時、赤蜂等、中山に謀叛し、急ぎ檄文を各処に発し、衆民を聚会して曰く、中山の大兵、来りて我が境を侵さんとす。汝等、能く鋭気を奮ひ速に出でて迎戦せよ。若し人、令に違ひて怠惰すれば、法に依りて立ちどころに斬り、敢へて寛饒せずと。独り獅子嘉のみ克く忠誠を守りて赤蜂等に従はず。而して其の難を逃去して波照間山に隠居す。赤蜂、平得村の嵩茶・大浜村の黒勢等を遣はし、急ぎ獅子嘉殿を招かしむ。嵩茶、起程するの時に当り、赤蜂、再三之れに嘱して曰く、獅子嘉は屡次之れを招けども未だ肯へて聴従せず。想ふに必ずや其の故有らん。汝、親しく波照間に去き、宜しく以て慰諭すべしと。嵩茶等、令を奉じ、往きて他の島に至る。時に、獅子嘉、適々海辺に在りて、竿を垂れ魚を釣りて逃匿する能はず。嵩茶等、計を設け言を極め、従容として招撫するも、獅子嘉、志に忠貞を矢ひ曾て聴服せず。嵩茶、遂に獅子嘉を擒へ、往きて小浜に抵り、剣を抜きて刺殺し、以て海中に投ず。嵩茶の船、将に石垣に至らんとす。時に、偶々中山の官軍赤蜂等を征討して其の党族悉く皆投誠するに値ふ。島中の人民、将に獅子嘉の節を守りて死するの事を以て、僉、呈文を具し、之れを中山に奏す。中山、深く憐恤を加へ、哀みて祭奠を賜ふ。遂に其の三男三女を中山に招来し、即ち長男赤真屋は擢んでて屋安古与人と為し、次男古真屋亦新本与人と為し、三男遠戸も亦還宝与人と為す。其の三女、嘉真太・保古・屋古也は、倶に女頭に陞せ、深く褒美を以て其の忠義を表す。亦民人をして各処に撥し遍く獅子嘉の屍骨を尋ねしむるも、未だ尋ね覓むるを得ず。一日、小浜島の海辺に一比留木(樹名)有り、風静かにして声無きも、而も其の樹自ら能く動く。人皆之れを奇異とし、急ぎ往きて之れを視るに、其の下に屍骨有り。即ち之れを収拾して波照間に葬る。