[本文0162]【始めて宮古山・八重山に頭職を置く。】宮古山の鯖祖氏仲宗根豊見親玄雅は、英雄豪傑にして勇力甚だ大なり。是の年、長男金盛豊見親、次男真列金豊見親及び金志川豊見親・砂川巫女等を率領し、大里等に跟随して八重山を征伐し、已に凱功を得たり。即ち仲宗根豊見親を擢んでて宮古頭職と為し、亦真列金豊見親を陞せて始めて八重山頭職と為す。真列金、衿驕自恣にして人民を暴虐す。彼の島の人民、みな疏文を具し、豊見親を中山に告訴す。即ち頭役を革め去り故郷に摘回す。仲宗根豊見親、已に病卒の後、長男金盛豊見親、父の家統を継ぎて宮古山頭職に陞任す。金盛も亦法を犯し典を壊つ。而して其の事中山に聞す。中山、使を遣はし、将に以て他の罪を鞠訊せんとす。其の使者未だ到らざるの時、金盛病に罹り、蚤亡す。使者家財を抄没し、二女を擒にして帯び回り、其の二女を将て、貶して人婢と為す。両三年に至り、他の罪を赦免す。本島に摘帰するの時、亦暴風に逢ひ、多良間山に飄至して船を大礁に破り、人皆湮没す。二女の尸体、海浜に漂来す。邑人、之れを見之れを憫み、撈ひ揚げて之れを山地に葬る。