[本文0169]【附宮古山に、始めて大阿母を封ず。】弘治年間、宮古山の仲宗根豊見親、大将軍に随ひて八重山を征伐し、以て平治を致す。幸に嘉奨を蒙る。而して其の妻於津美嘉を召見す。美嘉、将に中山に渉らんとするの時、遍く神嶽を巡り恭しく蔡<祭>品を備へて国家泰平、聖主万福を祈イす。而して中山に渉り来り、恭しく其の仏餉を聖主に献ず。聖主、美嘉を褒美し、封じて大阿母と為す。其の子孫、世々大阿母を襲ふ。而して且金簪一顆・白絹衣一領・素珠一串を恩賜す。而して大阿母此れよりして始まる。此れよりの後、聖主の洪禧有るに逢ふ毎に、必ず入京覲朝して以て方物を献じ、永く著して例と為す。