[本文0176]【三十七年、宮古山、始めて大般若経を求む。】宮古山に金志川豊見親なる者有り。乳名を那幾多津と曰ふ。恒に仏を拝し経を読み、心忠義に在りて国の為に福を祈る。弘治十三年間、中山、八重山を征伐するの時、仲宗根豊見親に跟従し、往きて彼の地に至り、前軍を引導して赤蜂等を攻撃し、甚だ功労有り。陞りて豊見親と為る。是の年の夏、中山に赴き往き、帰来するの時に当り、大般若経六百巻を買得して本島に帰り至る。茲よりの後、毎年四季、壇を設け経を唱へて、恒に国泰く民安く、船穏やかに往来するを祈り、以て伝家の至宝と為す。後年に至り、崎原加和良、金志川を島主仲屋豊見親(童名を兼盛と曰ふ)に讒愬し、遂に殺害せらる。後世の人、以て水程を掌司し船隻を守護するの神と為し、恒に以て崇信す。