[本文0182]【附宮古山の嘉場仁也、鯖魚に逢ひて命を救はる。】往昔の世、宮古山に西銘嘉場仁也なる者有り。生質忠篤にして朴実誠愨なり。嘗て西銘郡主(平良の北三里許りに在り。今亦、原野と為るも遺趾は猶存す)と為り、富貴尤も極まる。遂に三男二女を生得す。嘉場仁也、年紀老耄し、症に罹りて亡目す。三男は皆賦性驕傲にして恣肆矜誇なるを以て、深く父の瞎盲を恥じ、以て父親を傷害し、自ら其の郡を管して各々恣奢を極めんとす。二女、姉は思美嘉と名づけ、妹は明嘉津喜と名づく。倶に是れ敦厚孝順にして善く父母に事ふ。出嫁の後も、孝養愈々厚く、日々父家に帰り、親しく自ら炊餐し、先づ嘗めて食を進む。二女輪流して膝下に侍坐し、晨省夕定して敢へて怠惰せず。一日、二女、皆自家に勾当有りて未だ父家に到らず。三男、大いに喜び、父親を催して城赤嶼(海洋の中、相離るること一里余の外に在り)に到り、大いに酒を設けて以て宴遊を為す。此の時、三男、言を巧みにして騙詐し、共に海に出でて魚を漁るが似くして父親を拠棄し、密々に逃去して共に家に回る。潮水已にに満つるに至り、父嘉場仁也、頻りに三子を呼び、家郷に帰らんとするも、三子其処に在らず、応答の声有ること無し。父大いに驚き且哭す。然れども年紀已に老い、双眼亦瞎し、未だ水に浮びて帰る能はず。而して海面に泛び波に任せて漂去し、只心に仏神を念じて生を救はんことを祈り求むるも、殆んど半死に及ぶ。忽ち一大鯖魚有り、波を翻して来り、嘉場に撞着す。嘉場心に想へらく、海に泛び艱苦するよりも、寧ろ鯖腹に葬られんと。以て鯖魚に附す。鯖魚即ち嘉場を背にして去き、直ちに白川浜に至る。嘉場、何処なるやを知らず。匍匐して上岸し、天を仰ぎて泣哭す。翌日、二女倶に父家に到れば、父已に在らず。二女大いに驚き、即ち三男に向ひて父の所在の処を問ふ。三男曰く、予等、曾て知道せず。今、之れを尋ね求めんとすと。二女深く疑ひ愈々怪しみ、再三強ひて問ふに、三男、将に以て謀害せんとするの気有り。奈んせん二女、一処に往き去き、密かに内僕を招し、細々に之れを問ふに、曰く、昨三男、父を催して外に出で、暁天に至りて三男、独身、家に帰り、未だ父の回るを見ずと。二女之れを聴き、胆喪ひ心裂け、魂体に附かず。即ち神酒・握飯等を携へ、各処の山野・海辺に巡到し、天を仰ぎ地に伏し、潜然として啼哭し、老父を尋ね覓む。日碁に至り、白川浜に尋ね到り、倏ち老父に逢ふ。老父、二女の手を握り、相喜び相哭く。老父、其の三男の残害と鯖魚救生の事とを将て、細さに告ぐること一遍。且海に何物の有るや否やを問ふ。二女熟々之れを見るに、果して鯖の海面に在りて未だ敢へて退去せざる有り。父之れに嘱して曰く、鯖魚救生の恩は深きこと海の似く、以て酬報し難し。汝等、急々に一牛をツきて来り、殺して鯖魚に給し、以てヤ結を為せと。女子、りて牧地に至り、一牛を拉し来りて鯖魚に給し吃はす。既にして老父に請告し、家に回り到りて三男を逐放す。厥の後、其の二女と婿夫等とは輪流換班して膝下に侍坐し、心を尽くして奉養す。年已に老衰し病症に罹るを以て、即ち遺言して曰く、鯖魚我を教ふの恩は深くして報じ難し。汝等子孫世々永く誓ひて鯖魚を喰ふ勿れと。言畢り、病勢日に重く、以て其の天年を終る。三男は驕傲彌々盛んにして、放辟邪侈至らざる所無し。一日、三昆弟、一斉に舟に乗り、洋に出でて魚を釣る。ユに暴風に遭ひ、風に任せて漂去し、海中に湮没す。嘉場仁屋の外孫、其の遺言に従ひ、敢へて鯖を喰はず。今の鯖祖氏仲宗根豊見親玄雅は、此の姉の七世の孫に係る。故に附して此に紀す。