[本文0183]【痛く殉死を禁ず。】舜天王より察度王に至るまで、未だ人を用て殉死するを聞かず。已経に百余年、国君已に薨ずれば、男女を論ぜず、或いは二三十人、或いは十四五名、自ら競ひて殉死す。諸士死する時、其の数は貴賤の分に随ひ、或いは二三名、或いは五六人にして殉死す。我が聖主に至り、政を発し仁を施し、文物維れ新なり。勅諭して曰く、殉死は悪事なり。仲尼、已に始めて俑を作る者を悪む。何を以て人をして殉じて死せしむるや。決然として用ふべからずと。時に国母已に薨ずるに値ふ。遂に国人に命じ、痛く禁じて許さず(詳しくは嘉靖元年壬午十二月の碑文に見ゆ)。