[本文0186]【四十八年、八重山の西塘、始めて武富大首里大屋子を授かる。】八重山武富島に西塘なる者有り。其の人となりや、賦性俊秀にして器量非凡なり。中山の大里等、其の才の衆に出づるを以て、遂に此の人を帯びて中山に回り到り、即ち西塘をして法司家に供奉せしむ。経に十余年を歴て、朝夕懈らず能く忠節を尽くす。時に、園比屋武嶽の石門を築建するに値ふ。法司、他の善巧精工を以て、之れを朝廷に奏す。即ち擢んでて建造主取と為す。西塘、即ち之れを祈りて曰く、吾能く厥の功を竣りて故郷に帰ることを得れば、必ずや此の神を供養して以て崇信を致さんと。未だ数旬を閲せざるに、石門成を告ぐ。已に二十五年を歴、暇を乞ひて家に回る。法司、其の功有るを以て、亦之れを王庭に奏し、深く之れを褒嘉して即ち武富大首里大屋子職を授く。八重山に回り至るや、即ち国仲の地に圓比屋武神を請奉し、始めて崇信を為す。此れより来のかた、武富村の諸役人等、元旦・冬至及び元宵節に逢ふ毎に、公蔵に聚会し、遙かに中山に向ひて恭しく聖禧を祈り、次後必ず此処に到り、国泰民安を祈り求め、後亦遍く各嶽に至りて祈イす。