[本文0187]【武富邑の西塘、八重山に公倉を創建す。】八重山武富邑の西塘、武富大首里大屋子職を拝授し、満挽与人に続きて以て八重山の事を掌る(前に中山、満挽与人を遣はして其の事を治めしむること有り。此の時に至り、満挽与人を叫び回し、他の西塘をして代りて其の職に任ぜしむ)。而して諸島の酋長、尽く武富島に赴き、以て法令を聴く。是れに由りて西塘、地を武富島に卜して公倉を創建す。而して後、西塘、武富島の地狭く人少く、往還未だ便ならざるを以て、之れを石垣の地に移し、但草屋を結びで以て風雨を蓋ふのみ。康煕丁丑の春、公蔵を重修し、瓦以て蓋を改む。