[本文0188]【附虞建極、二次京に赴き、以て剣を磨き並びに討還を為す。】嘉靖年間、王に一宝剣有り、名づけて治金丸と曰ふ。其の剣の常と異なるを以て、王、虞建極(京阿波根実基)をして京に赴きて之れを磨かしむ。王后、其の剣様を以て、密かに壁上に写して授与す。虞建極、命を奉じ高く此の剣を捧げて将に王城を出でんとす。君真物神出現して中山坊外に送る。既にして京都に入り、良匠を尋ね求めて之れを磨かしむ。磨匠、其の剣のス\たるを知り、密かに新剣を造り、換へて以て之れを還す。而して建極、其の事を知らずして帯び来る。此の時、神の出現無し。而して人之れを知らず、只之れを匣中に蔵す。一日、王后、亦其の剣を出し、其の剣様と以て相較を為すに、此の剣、符合せず。王后、即ち其の宝剣に非ざるを知り、細さに王に告ぐ。是れに由りて王、亦建極をして京に赴き宝剣を討還せしむ。建極、王命を奉じて再び京都に入り、逗留すること三年、心を尽くし力を竭し、多く奇計を用ひて宝剣を取得す。而して帰国するの時、其の神、前の如く出現して中山坊外に迎ふ。王、大いに之れを喜悦し、深く之れを褒嘉し、賜ふに采地を以てし、擢んづるに顕爵を以てす。此れよりの後、威武遍く振ひ、名を中外に馳す。蓋し其の人となりや、性質敏捷、剛直にして私無し。勇力人に過ぎ、局量宏遠なり。故に時人、深く其の驍勇凡ならざるを忌み、変容する能はず。遂に人の讒言して王に愬告する有り。王、之れを賊害せんと欲するも、奈んせん斬誅の罪無し。是れに由りて一日、朝廷に招入し、坐及び茶を賜ふ。時に、童子をして匕首を以て之れを刺さしむ。建極、手に寸鉄無く、但空手を以て童子の両股を折破し、城門を走せ出で、中山坊外に行き至りて斃卒す。時に女君神有り、其の人の罪無くして死するを悲しみ傷み、即ち其の尸骸を収めて葬埋す。而して人、其の尸の在る所を知らず。今、坊外に石を堆みて囲と為す有り。俗伝に京阿波根塚と。或いは亦然らん。