[本文0192]【国吉、始めて防水基を築く。】板敷橋は、古より杠を設けて以て往来を通ず。然れども洪水横流するや、屡々傾壊を致し修葺に堪えず。成化年間、東風平村に国吉なる者有り。偶々此の地を過ぎ、細さに其の橋を看修して奉行尚竜徳(越来王子朝福)に与り、始めて防水基を築くことを告説す。竜徳深く之れを喜悦し、即ち国吉をして工を督せしむ。国吉、始めて防水基(俗に潮切と叫ぶ)を築き、其の水災に防へて以て久保の設を致す。此れよりの後、橋已に鞏固にして敢へて敗壊せず、亦人力を費やさず。王、深く之れを褒嘉し、特に佐久真地の田地高十石三斗八升八合・畠高三石九升(共計十三石四斗七升八合)を賜ひて他の請地と為し、以て伝家の宝と為す。