[本文0198]【夷堂を那覇に創建す。】嘉靖年間、日秀上人此の堂を創建し、夷殿を其の中に奉安す。夷三郎殿は、乃ち日本の伊弉諾・伊弉冊の尊の子なり。始め生るるの時、四体全からず、状蛭児に似たり。三歳の時に至るも、曾て走歩せず。父母之れを名づけて蛭児と曰ふ。小舟に装載して碧海に流去し、即ち竜宮に至る。荏苒の間、七八歳に及びて、身体已に全し。是れに由りて郷念日に起り、以て禁止し難し。一日、帰らんと欲するの意を以て竜王に告ぐ。竜王曰く、今汝の貌已に全し。吾、汝の帰郷を許さん。須く漁舟及び納税並びに商賈の事を管すべしと。已に別るの時に臨み、竜王、宝物を他に贈る。而してチ魚に駕して帰り来る。後世の人、尊びて市神と為し、必ず堂を市場に建て、以て崇信を為す。或人、夷殿の竜宮を想ふを以て、其の駕す所のチ魚の形に倣ひて小を鋳造し、之れを宝前に懸け、日夜之れを撃つ。其の声響きて神人に達し、神をして以て喜悦を為さしむ。即今、を神前に懸け、人、廟内に入れば、則ち二たび之れを撃ち、退けば、則ち一たび之れを撃つ。此れ其の遺事ならんか。