[本文0202]【十一年、王、兵を発して大島を征す。】大島に酋長数人有りて、一人は与湾大親と叫ぶ。其の人と為りや、性資忠孝にして、惟善是れ務む。同僚の酋長、皆是れ奸佞にして、与湾大親と恒に和睦ならず。其の同僚来りて入貢するの時、奏言す、与湾大親、謀叛の意有り、請ひ乞ふ、速かに之れを誅せんことを。若し遅延すること有らば、必ず制し難からんと。王、大島は海を阻つること已に遠く、虚実弁じ難きの故を以て、遂に讒惑せられ、即ち将に命じて兵を発し、往きて与湾大親を討たしむ。官軍上岸するや、大親、天を仰いで嘆じて曰く、吾已に罪無くして死地に就く、只我を知る者は天ならんかと。自ら縊して死す。官兵、其の子をエにし(名を糠仲城と叫ぶ。其の裔孫の姓は馬なり)、軍実を載せて還る。